夕暮れがゆっくりと家の中に溶け込んでいく。障子の隙間から差し込む光は、夏のような強さを失い、橙色にやわらいでいた。外では鈴虫の声が、さざ波のように響いている。時折、田んぼの方から蛙の低い鳴き声が混じり、初秋の夜の始まりを告げていた。
食卓には、湯気の残る茶碗が片付けられている。旬の秋刀魚を焼いて、大根おろしを添えただけの簡素な食事だったが、二人で向き合いながら食べると、それで十分に満ち足りた。
食後、妻が土瓶から玄米茶を淹れてくれる。香ばしい香りがふわりと立ちのぼり、湯飲みを両手で受け取ると、掌に伝わる熱が心地よい。夫婦は並んで座り、テレビを点けた。画面には街探訪の番組の最終回が映し出されている。壮年の俳優が、穏やかな声で「ここでの出会いは一生の宝です」と締めくくっている。
「もう終わりなのね」
妻がぽつりと呟いた。
「長かったなあ、この番組。十年ぐらい、やってたんじゃないか」
「そうね。いつも夕方に観てたものね」
静かな会話が続く。息子たちが家を出て半年。今は二人きりの家。慌ただしい夕飯時の喧噪は遠い昔になった。
ふと、耳の奥にかゆみを覚えた。箸を片付けるために台所へ行ったついでに、引き出しから耳かきを取り出す。竹製の、先がほどよく丸い古びた一本。自分で耳を掻こうとしたその時、妻がこちらを見ていることに気付く。
「貸して。久しぶりにやってあげる」
そう言って、微笑む。
妻にしてもらう耳かきなど、何年ぶりだろうか。息子が小さい頃は、寝かしつける前に「お母さん耳やって」とせがんでいたのを覚えている。自分もその横で、時々してもらったものだった。
畳にごろんと横になると、妻は膝を差し出してくれた。膝枕に頭をのせると、柔らかな温もりが後頭部に広がる。耳の横にかかる衣擦れの音が心地よい。
「じっとしててね」
「わかってるよ」
耳の奥に、竹の先端がそっと触れる。かさり、と小さな音がして、耳の中の余分なものがかき出されていく。最初はくすぐったいような、少し緊張するような感覚。しかし、やがて心がほどけるように落ち着いていく。
テレビでは、俳優の旅がまだ続いていた。古い商店街を歩き、地元の人と話し込む映像。画面越しに映るどこかノスタルジックな街並みは、懐かしさと同時に、自分たちの歩んできた時間を思い出させる。
——長男が初めてランドセルを背負って歩いた日。
——次男が部活帰りに泥だらけで帰ってきて、笑いながら叱った日。
——妻が台所で忙しく立ち回り、自分は仕事帰りに少し遅れて加わった食卓。
すべてが流れていき、気づけば二人きりの暮らしになった。膝の上で耳かきをされながら、その年月の厚みを胸に感じる。
「力、強すぎない?」
「ちょうどいい。気持ちいいよ」
短いやりとりが、妙に安らぐ。網戸越しに聴こえる鈴虫の音色は、まるで自然が奏でる子守歌のようだ。
耳かきの動きが止まり、妻が梵天を取り出した。先ほどまでのかさりという音が、ふわふわとした柔らかさに変わる。耳の奥をなぞられるたびに、心地よい余韻が体に広がっていった。
妻が耳から梵天をそっと離す。
「終わったわよ」
番組はいよいよ終盤にさしかかっていた。画面には夕暮れの町並みが映り、「それでは、またどこかで」と俳優が深々と頭を下げている。
「……そうか。ありがとな」
名残惜しく、まだ膝から頭を上げる気になれない。エンドロールと共に、外の虫の音が一層はっきりと耳に入ってきた。
「もう少し、このままにしてていいか?」
自分でも驚くほど穏やかな声が出た。
妻は何も言わず、ただ「いいわよ」と小さく答える。その声に包まれ、目を閉じる。玄米茶の香り、鈴虫と蛙の合唱、そして膝の温もり。そのすべてが混じり合い、時の流れがゆったりと遠のいていく。
息子たちがいなくなり、夫婦だけになった家。だが、それは空虚ではなかった。こうして共に静かな時間を味わえることが、何よりの幸福なのだと感じる。
耳かきが終わり、番組も終わった。けれど、心の奥ではまだ続いている。落ち着く音と香りに包まれて、夫婦の時間は、初秋の夜とともにゆっくりと流れていった。
コメントを残す